夫と真田の縁について7

夫と真田の縁について6からの続きです。

長と書いて参りましたが、この夫と真田の縁について、7でようやく終わります。自分で

書いていても長すぎて、短く書かなくてはと思いますのに、どこを端折れば良いのか

どれも大切なエピソードのように思えて、こんなに長丁場になりましたことお詫び申し上げます。

夫は、1浪して早稲田大学に入学しました。その1年後、私と出会うことになります。

そのお話は、このブログの最初の方の記事に書いたとおりです。

ここで、夫の前世について、明確に書きます。夫が敦煌の後に見た、前世の出で立ちは

赤備えの甲冑。そして鹿の角がついた兜です。この姿は真田信繁であると思います。

この人物の名前が大きいために、このように長と夫の人生観や仕事観、そして幼少期を

書いてまいりました。そうでなくては、この名前を出すことがは憚られたからです。

この記憶について、夫自身は自分からそのようには言いません。上田に育った夫なので

真田信繁の名前を出すことを不遜に思うでしょうし、半信半疑だからです。ただ、夫の心の

なかにはいつも信繁がいて、行動指針になっている事は間違いありません。

私たちが高校生の時代は、今のようにインターネットが盛んではありませんでした。

ですので、当時ネットから知識を引き出すことは不可能でした。

真田信繁の最期は、当時の通説であった神社にて休んでいるところで、敵兵に見つかり

この首を持って行けと話したエピソードが主流でした。しかし、夫の記憶は槍で戦い戦死

したということでした。しかし、この数年、新史実によって、真田信繁が槍で戦って

戦死した、という新説が出てきたようです。死因について、夫の記憶と合致すると思います。

もうひとつ、昨年の大河ドラマ真田丸について申し上げると、不思議な巡り合わせ

ですが、信繁を演じた堺雅人さんと夫は同じ時期に早稲田に通っていた事になり、更に

夫の名前と堺さんの名前は漢字も同じ雅人なのでした。このシンクロ二シティをただの

偶然のように思うことはできませんでした。堺さんはストレートで入学していますから

同学年で学んでいた事になるかもしれません。

もし、仮に夫が真田信繁であった場合、私たちは大坂夏の陣という戦国最後の大戦を

ともに別の立場から、同じ場所で体験したのかもしれません。私たちがお互いに持っている

感情の源は、同種なのではないかと思います。私も夫も、豊臣家の人を助けることが

できなかったという、同じ花を咲かせる種を持って、生まれてきているような気がするのです。

これはカルマ的なものなのか、あるいは、私が以前、尊敬するある方から教えていただいた

約束なのか分からないのですが、このブログで前世を探求して行くうちに、見えてくる事

もあるのかもしれません。

このブログは少なくとも、私が高野山と豊国廟に行くまでは続けていきます。当初は秋の

予定でしたが、冬になることが現時点で濃厚です。

大変、荒唐無稽なお話の数を、お読みいただきありがとうございます。心より感謝申し

あげます。やっとここまで書く事ができて安堵しました。