『子午線の祀り』ポストトーク7/7

2017年7月7日(金)マチネ終演後

★登壇:野村萬斎(『子午線の祀り』演出・主演、世田谷パブリックシアター芸術監督)

暑い中お越しいただきありがとうございます。冒頭、舞台に蝋燭一本と波の音で催眠効果がw (SEで)船出のイメージを描きましたが、客席で舟漕いでる方もいらっしゃいましたねw 抽象度の高い舞台です。具体より抽象。能楽の世界の人間なので。

自分の子供時代に初めてこの戯曲を観た時の影身役は山本安英さん。『夕鶴』のつう役で鶴の化身を演じた方。この時にそこそこのお歳だったと思いますが。神秘的な役なので若い方より…ということでしょうか。

昨年の9月に上演に先駆けてリーディングを行いました。群読はコーラスのようなもので、ギリシャ悲劇(のコロス)と同じ。能狂言地謡とも似ている。平家物語をコーラスでやるというのは、我々能狂言の世界の者達の専売特許ですから。

上演にあたってルール作りをした。その一つが階段を使うこと。(以前の上演では)デカいのが2台だったが、今回は基本、小さめのを4台にした。本番ではその階段に波の模様が入れてあるが、稽古の時には色を塗っていなかった。

舞台を前後する可動台を堤防だと言われを見たある女性出演者に「これって堤防?」と言われてちょっとショックだったw 階段には波のイメージも持たせている。杉本博司さんの作品(『海景』シリーズ。一直線に水平線が写る)にも影響を受けている

(舞台床中央の円を指し示して)この円はギリシャのヘロディス・アティコスを模しているつもりでもある。木下(順二)先生がこの戯曲を『オイディプス王』を意識して書かれたということで繋げてみた。

以前の上演では背景に月がドカンと出ていて、宇野重吉さんが読み手Aとして囁くように語っていて、次の読み手Bになったら突然雛壇の上に乗っているというものだったが、今回はもうちょっと現代的にやりたかった。読み手A、分かりましたか?

皆さんに分かっていただけるように色々努力はしたつもり。この床の丸も何でしょうねぇ?お金の事を心配せずに蜷川さん的にやっちゃうなら(海に見えるように)舞台に水を張っちゃおうかと考えたwでもこの暑くなる時期に水を使うと臭くなりそうだしw…背景の星空(宇宙)もプラネタリウムを使いたくて最後まで粘ったけど、やってみるとプラネタの投影が照明に負けて光が飛んでしまうので結局ボツに。

子午線の祀り』はRequiem on the Great Meridianと英訳されるが、requiemとは「鎮魂」の意味。舞台中央に置かれる蝋燭は人の命。蝋燭が鎮魂の意味を持つ。時々「祀り」と「祈り」と間違えている人を見かけるw

「あなたはすっくと立っている」の、足の裏から頭の上に抜ける線は天井から一本に落ちる照明で表した。本当は足元から上に立ち昇る照明にしたかったのだけれどこの形にした。照明のある位置が天頂。背景(のスクリーン)には北極星。 源平の対峙では舞台の左右を使い、北極星を通る子午線は舞台の前後(奥行き)。経線は地球のもの、子午線は遥か宇宙のもの。

開始直後に黒い人達が(通路から)ぞろぞろ集まってきますが気が付きましたw?

あれは鎮魂の為に集まって来る人達。(客席側から現れるということで)お客さん達も含めてのレクイエムであるという意味を持たせた。

黒い人達が集まっているのは現代。そこから1185年・平家が敗北した一の谷の戦いの後にぴゅーーーんと飛んでいく。グーグルマップでポイントを当てるとそこに飛んでいくのと同じような感覚でw時間軸の波が押し寄せて来る。

特に前半は観念の世界が続く。大半が知盛の頭の中で起こっていること。最初に出て来る民部は今この場にいる民部ではなく、10日前の人ですよ?その次に出て来る、影身を殺したらしい後の民部が今現実にいる民部。

舞台中央の丸は知盛の観念の輪とも言うことが出来る。ここにいる知盛は天の声を聴き、地の声(戦で疲弊したお百姓さん達)をも感じる。観念の世界に3D的な感覚を持ちこんでいる。

若村さんは最初現代にいて、読み手として1185年に紛れこみ影身となって、最後は2017年に戻って来る。冒頭の知盛のナレーションに導かれて過去に取り込まれていく。

舞台上、一段上で前後に動く台は波を表していますがそう見えたでしょうか。現実の波でもあり時間軸の波でもあり、船の役目も果たす。

平家は波(可動台)の向こう側にいる。舞台手前と奥とで此岸(しがん)と彼岸を表している。これは能によくある「弔いが行われているところに人が現れて語る」という手法から。能の知盛(船弁慶)が波の上にいるのと同じような意味。

平家のシーンは鬱々とした流れだが、義経パートになると(義経の家来の)10人の男達がずらっと舞台に並んで、皆さん目が覚めるんですねwww(そこまでが眠いのは)私のせいじゃないんですよw?30年前からそうなんですからwww うじうじと思い悩むハムレット的な知盛がいるのが夜、義経がいるのは昼だから、この義経パートでお客さんを起こさなきゃと思って力を入れて作りましたw

影身は元々出番が少ない役なので、影身自身の役割以外も割り当てようと思い、読み手と、休憩明けには月の女神的な役割を持ってもらった。休憩明けに若村さんが舞台奥の上段にいますが、あれはあの世にいるという意味です。(若村さんは)壇ノ浦の世界のあの世にいることになる。そこから源平の戦の様子をずっと見ている。天からの目線はギリシャ悲劇的な要素。観念でしか考えられない知盛を宇宙に飛ばすのも影身の役目。

4幕からは上段も含めて全てが現実の世界となる。この主劇場の特徴をどう生かしたらいいのか、まずは模型を作ってシミュレーションするのだが、模型の舞台の真中にCDを置いてみてそれが実際にこの床演出になっている。(模型は)人形遊びをしているようw

今回は(自分が演出する中では)最大限の人数を出した。それでも源平の役を兼任している人もいる。群読だけでなく、肉体性を入れたかった。両軍が戦い合っているところを見せたかった。原文を補うためにもそれは必要だと思った。

水主楫取(かこかんどり)は船の漕ぎ手で非戦闘員なので、これを女性陣にやってもらった。最初女性陣は八乙女(やおとめ)だけだったので、それでは勿体ないと(水主楫取として)群読にも参加してもらい、音量も増して一石二鳥だった。

水主楫取を撃つという義経のタブー破りの戦法はあまり語られない。歴史は勝者の目線で語られるのが常で、それだと(敗者の)平家がどうしても悪者になってしまう。義経にもこういう面があるのだと見せたかった。

終盤の鍵を握る民部は一番奥の見物しているような位置にいる。その位置で(彼の計画にある)道をふさぐ源氏方が現れる構図。

平家の最期のところでまた平家物語原文に戻る。平家の人間がどんどん身投げして行くところで原文に戻るのは「木下先生、ずるいなぁ」と思ったw

日本的な演出と西洋的な演出を混ぜてみた。波の可動台はいわゆるブレヒト幕に近い手法。最後、引き波で知盛が消えていくと(若村さん演じる)現代の女性が戻って来る。

観客と共有するメッセージを持ちたかった。舞台を通して、歴史の流れの中に皆が立っている。この舞台は使い方によって床の高さが変えられるので、今回は一番掘り下げて使ってみた。(客席の傾斜が)ギリシャの古代劇場を意識している。

これからもこの舞台はまだ続くので是非また足を運んで欲しい。13年前からこの作品をアップデートしようと思っていた、能狂言もアップデートを繰り返して今日に至っている。文化の在り方としてこのような作品を残していきたい。